たとえば、あの果てしなく湧き上がる入道雲のような、溢れて止まないこの想いも・・・

たとえば、あの容赦なく照り付ける夏の陽射しのような、身を焦がされるほどのこの願いも・・・






――― たとえば・・・ ―――






「ふぇぇ・・・えぇっ・・・えっく・・・ひっく・・・」

「・・・・・・」



甘栗甘の店内で、ボロボロと大粒の涙を零しながら、特製白玉あんみつを必死に口に運ぶ一人の少女と、

すっかり手に馴染んだ愛読書に目を落としながらも、そんな少女の様子をじっと見守り続ける一人の男。



すっかり常連となっているこの二人。

人目を避けるように、店の一番奥の大きな植え込みの陰に隠れるように腰を下ろしているのだが、

辺りを憚らず、ずっと嗚咽を漏らし続ける少女に、周りの好奇の視線は容赦なく降り注ぐ。

それはまるで、向かいに座っている男が、まだあどけなさの残る少女を年甲斐もなく泣かせているように見えるのだろう。

勝手な憶測を加え、こそこそと小さく耳打ちし合いながら、同情と非難のこもった眼差しを遠慮なくこの二人にぶつけては、格好の話の種にしているようだ。



(参ったなあ・・・)



カカシは人知れず、そっと溜息を漏らした。

これでは、まるでオレがサクラを泣かしているみたいではないか。

そりゃ確かに、目の前のサクラは悲嘆にくれて大泣きしているけれど、決してオレが泣かせている訳ではない――



真相はこうだ。

恋に恋する多感なお年頃のサクラは、つい先日、今年に入ってもう何度目か分からない『運命の恋』を予感した (らしい)。

自分の人生を決定付けかねない運命の出会いが、そうごろごろとそこら辺に転がっているとは、カカシには到底思えないのだが、

本人が「今度こそ絶対に間違いないわ!」と宣言するのだから、まあ今度こそ絶対にそうなんだろう。

たまたま、今までの出会いが、運命とはちょっとかけ離れていただけなのだ。

そういう勘違いは、若いうちにはよくある事。

だから、サクラが今年に入って数えるのも億劫になるほど運命の恋を体感するのも、それはそれでありなのだ。



別に、そんな事はどうだっていい。

ただ、どういう訳か、サクラはその恋の一部始終をカカシに報告してくるのだった。

いついつどこそこで、こういう素敵な男性と巡り逢っただとか、これこれこういう会話をして物凄く楽しかっただとか、

その男が、いついつ知らない女と浮気して悔しい思いをしただとか、暗闇でいきなり抱き付かれそうになったから容赦なくぶっ飛ばしてやっただとか、

「何もそんな事まで、逐一教えてくれなくても・・・」とカカシが呆れるくらい、事細かく報告してくれる。

当初は、人生の先輩たる成人男性の恋愛アドバイスを欲しているのかと、かなり身を入れて話を聞いていたのだが、どうも勝手が違う。

サクラはカカシにいろいろ誇張を交えて面白おかしく報告するだけで、カカシの意見など一切求めてこない。

ただ話を聞いてもらうだけで十分らしい。



(こういうのって、普通、女の子同士で盛り上がるものなんじゃないの・・・?)



どうにも腑に落ちなくて、一度サクラに尋ねた事がある。

「なんでオレなの?」と・・・。

そうしたら、ケラケラと笑いながら、「だってカカシ先生なら、甘い物付きで、余計な事言わずに私の話に付き合ってくれるもん」と当然顔された。

これが他の奴だと、「えー、それってちょっと違うんじゃなーい?」とか、「やだぁ!絶対それって、あんたの思い込みー!」とか散々話の腰を折った挙句、

「そんな事よりちょっと聞いてよ!私ったら、この前さあ・・・」と、ちゃっかり自分の話題に掏り替えてしまうらしい。もちろん甘い物代は、割り勘だ。



そんなある日、サクラの目の前をカカシがぼうっと歩いていた。

サクラは閃いた。


『この男なら、飲み物食べ物代込みで、絶対に自分の話に付き合ってくれるに違いない・・・。いーや、絶対に付き合わせてやる!』


・・・で、サクラの読みは見事的中――

いや、強引に的中させてやったという次第だった。






「せんせ〜!カカシせんせ〜!」

「・・・や、やあ・・・」

「ねーねー先生聞いて聞いて!私昨日ね・・・」

「あ、えーっと・・・。今、ちょっとオレ、手が離せないんだけど・・・」

「えー!?ひどーい!先生、私の話聞いてくれないのぉ!?」

「や、そういう訳じゃないんだけどさ・・・」

「なによ!カカシ先生のバカバカ意地悪!可愛い部下の頼みも聞いてくれないなんて最低最悪!もう上司失格じゃないのぉ!」

「・・・あ・・・あああ・・・」



たまに会って、近況報告を兼ねたサクラの恋愛話に付き合うのなら、それはそれで楽しいと思う。

喜んで、いくらでもお付き合いしてやろう。

しかし、サクラのお呼び出しは、『たまに』というレベルを遥かに超えていた。

恋愛初期の浮かれた時期なら、毎日どころか、一日に何度もノロケ話を聞かせにやってくる。

余りに引っ切り無しにカカシとつるんでいるものだから、相手の男にあらぬ疑いを掛けられ、要らぬ恨みを買ったことなど数知れず。

それが原因で破れた恋も数知れずの筈なのだが、当の本人はその事実を知ってか知らずか、

「カカシ先生、またフラれちゃったぁ・・・」と、さめざめと大泣きしながら、懲りずにカカシに報告に訪れる。





・・・で、本日も『今度こそ絶対に間違いようのない正真正銘なる真実の恋』に破れたサクラは、カカシの前で悲嘆に暮れているのだった。

半ば恒例行事となった失恋の自棄食いに大人しく付き合うカカシは、周囲からの針のむしろのような視線にも必死に耐えて、

サクラが落ち着きを取り戻すのをひたすら我慢強く待ち続けている。



「おい、もっと食うか?」

「えっ・・・えっ・・・・・・えぐっ・・・」



スプーンを口に咥えながら、コクコクと小さく頷くサクラ。

どうやら悲しみの度合いが深まるたびに、食欲の度合いも比例して深まるらしい。

カカシは静かに本を伏せると、そっと片手を上げ、身振りだけで白玉あんみつをもう一つ注文した。



「今回は一週間か。まあ、持った方じゃないの?」

「えっ・・・ふぇっ・・・えぇっ・・・」

「そんな落ち込むなって。もっといい男がすぐに現れるさ」

「・・・そんな事・・・言って・・・、現れ・・・なかったら・・・・・・どうしてくれる・・・の・・・よぉ・・・」

「んー。ま、そん時はそん時だけどなー」

「ひ、酷ぉーい!」



嗚咽どころではない、人目を憚らずに豪快にわんわんと大泣きしながら、それでもあんみつを運ぶ手は一向に休めようとしないサクラに、

カカシは思わず失笑を漏らした。

若さゆえのストレス発散法といってしまえばそれまでだが、いかにもサクラらしい。

どちらかといえば好意的に近い呆れ笑いだったのだが、サクラにはそれがお気に召さなかったらしい。

すかさず鋭い非難の眼差しがカカシを襲う。



「なんで笑うのよぉ!」

「ああ、ごめんごめん」



頭を掻きながら笑って誤魔化すカカシをムッと睨み付け、サクラは相変わらずのペースであんみつを食べ続けた。

失恋の痛手に加え、カカシへの怒りも湧き上がり、とにかくサクラの心中は穏やかではない。

ムカムカと腹が立つほどに、身体が新たなエネルギーを欲し始める。



「カカシ先生、おかわり!」

「ハイハイ、好きなだけ食べてちょうだい」



目の前にうずたかく積まれていくガラスの器。

でもまあ、メソメソ泣いているよりは怒ってる方がまだマシだ。

悲しみに打ち沈むより、怒りに身を任せる方が、多少は前向きにエネルギーを消費できるだろう。

カカシは新たに甘味を注文し終えると、再び手元のページに目を落とした。



「あーあ。私の赤い糸の王子様、一体どこにいるんだろうな・・・」

「さーてね。一体どこで何してるんだろうねー」

「なんかもう、待ちくたびそうなんですけど」

「ははは、サクラを待たせるとは大した奴だな、全く」

「もしかして・・・、途中で切れちゃったりしてないよね」

「何が?」

「何がって、私の赤い糸に決まってるじゃない」

「んー。大丈夫じゃない、きっと」

「そうかなあ?」

「そうそう、だいじょーぶだいじょーぶ」

「なーんか、随分と軽々しく言ってくれわね」

「いや、サクラくらい可愛ければ、絶対に大丈夫だって」

「絶対?」

「うん、絶対絶対」

「はあ・・・。いいわよね、カカシ先生は呑気で」



「所詮、他人事だもんねぇ・・・」と不貞腐れながら、サクラはスプーンをいじり回した。

余りにも勢いが良すぎて、しまいには掻き混ぜられた寒天が危うく器の外に飛び出しそうになる。

慌てて両手で押さえながら、再びスプーンを口に運ぶ姿をカカシは苦笑を浮かべながらぼんやりと眺め、そして静かに瞑目した。



(他人事ね・・・)


こうも毎日、人を振り回しておいて、今更他人事も何もないだろうに・・・。



何気ない振りをして呑み込んだ筈の遣り切れない想い。

微かな苦味が喉の奥に蘇り、思わず眉を顰める。

小さく漏らされた溜息は、決してサクラの耳に届く事はなかった。

軽く肩を窄めて視線を上げると、サクラは相変わらずスプーンをグルグルと弄んでいる。

穏やかに投げ掛けられている視線に気付く様子など、全くない。



そう、サクラはまだ気付いていない。

余りにも身近過ぎる、その人の存在を。

いつだって、どんな時だって、その人は絶えず自分を見守ってくれているという事実を。

そして、その人の前では嘘偽りない本当の自分でいられて、いつでも素直に感情を吐露しているという真実を。



(こんないい男が、すぐ目の前にいるってのに)



「あーあ、どっかに素敵な彼氏いないかなぁ」と、スプーンを口に咥えながら天を仰いでいるサクラに向かって、カカシはさり気なく言ってみた。



「『灯台もと暗し』ってヤツだな」

「・・・なんの事?」

「だから、どっかにいる筈の素敵な彼氏。すぐ目の前にいるじゃないの」

「なにそれ。新しいジョーク?全然笑えないんだけど」



カカシの言葉など全く眼中にないその様子に、カカシは小さく笑いを返すしかない。



「ま、とにかく元気出せ。へこんでるサクラより笑ってるサクラの方が、オレは好きだぞー」

「・・・・・・」

「どうした?」

「カカシ先生に好きって言われてもなぁ・・・」

「何よ。オレじゃ不満なの?」

「別に不満じゃないけど・・・」

「あからさまに不満顔してるんだが」

「だって、あんまりときめかないし」

「はあ・・・、このゼイタク者。それじゃ、実感湧くまで言ってやるから覚悟しろ」



呆れたように本を閉じると、ぐいっといきなり身を乗り出した。

眠そうだった瞳が、キリリと射抜くようにサクラを見据えている。

今にもくっ付きそうなくらい顔を近付けられて、サクラは思わず大きく仰け反った。

まじまじと顔を覗き込まれ、何が何だかよく分からないまま、サクラもカカシを見詰め返す。

勢いに押され、大きく仰け反ったままのサクラに向かい、カカシは、

「好きだ・・・」と、唐突に言葉を放った。